2020/06/23 火曜日
おはようございます!
川崎は曇り。お昼ころから持ち直しそうです。お昼は25度あたりで、過ごしやすい一日に。明日から暑くなりそう。
邪馬台国論争は、最近あまり聞かなくなりましたが、古代史ファンには避けて通れない話ではあります。
私も、30年ほど前からでしょうか、いろんな本を読みましたが、これと言った決め手を欠くものばかりでした。
そんな時、鷲﨑弘朋さんの著書
「邪馬台国の位置と日本国家の起源」
が、WEBで公開されていて、読み進むうちに大変納得しました。
3世紀の日本のことは、「陳寿」の「魏志倭人伝」に詳しいですが、そこに書かれている一里を4キロメートルとすると地理的に無理が出てしまいます。
因みに、北方謙三さんの「三国志」の冒頭に「当時の一里は400メートル」と書かれています。
現代の十分の一です。
ところで、鷲崎さんによると、この400メートルは実は長里で、当時、交易をする船乗り達は短里を使っていたということです。
短里とは、一里約85メートル、陸行一日は約4.4キロ、水行一日は約5.7キロとなるんだそうです。
当時の西晋(魏)の太使令「陳寿」は日本と大陸を往来する船乗りや、当時の帯方郡使から情報を得ていたようで、当時のそれぞれの部族の位置は九州(一部山口県)の然るべきところにあったという事になります。
鷲崎説は非常に明快で、今のところ邪馬台国に関して、私はこの説を取ってます。
そして自ずと、邪馬台国の位置が確定されます。
長くなりましたので、今日はこのへんで・・・。
2013年7月14日の宇佐神宮。
今日も一日ワクワク元気で!