ゲルソン療法

ゲルソン療法

ゲルソンによるガン患者の食事療法

マックス・ゲルソン博士(1881~1959)は、1881年10月18日、ドイツのウオンゴロビッツのドイツ・ユダヤ系家族に生まれました。医学を志した博士は、ベルリン大学等の医学部で医学を修め、ベルリン大で助手として働きます。

その後、ベルリン市内の病院やドイツ陸軍の軍医として勤務した後、1938年にはナチスの迫害を逃れてニューヨークに移住しました。ニューヨークで開業したゲルソン博士は、臨床医として高く評価される一方、自らのガン治療法である「ガン食事療法」を完成します。

ゲルソン博士が、晩年のころ受けたラジオのインタビューで、「他の医者がガンを治せないのに、なぜあなただけがガンを治してこられたのか」というアナウンサーの質問に次のように答えています。

「医学会はこれまで何百年もの間、ガンとは腫瘍のことなのだと錯覚してきた。これが最大の間違いで、ガンとは腫瘍のことではない。腫瘍はガンの症状に過ぎず、ガンとは体全体の栄養代謝が狂っている状態のことである。」

ガンの正体は腫瘍など局所的なものではなく、患者自身の細胞がガン化してしまう原因、すなわち全身の代謝障害であると考えたゲルソン博士は、その経験をもとに独自の食事療法を確立しました。

かのシュヴァイツァー博士をして 「ゲルソンの中に医学史上、最も傑出した一人の天才を見る」 と言わしめ、また「ゲルソンの治療によって治癒した人々が、彼の考えの正しさを証明するだろう」 と予言させました。 

ゲルソン博士がまだドイツで診療を行っていた頃、がん食事療法の前段階として、塩を抜いて結核を治す「偏頭痛ダイエット」を実践していました。この時、患者として博士のもとを訪れたのが、ノーベル賞受賞者で“密林の聖者”と言われた、アルベルト・シュバイツァー博士の夫人ヘレンでした。

彼女は、夫とともに渡ったアフリカで結核にかかり、夫とともにゲルソン博士のもとへ来たときは末期の状態でした。しかしゲルソン博士の治療を受けた夫人は、結核を克服し治癒したのです。シュバイツァー博士はこのことを深く感謝し、終生ゲルソン博士への尊敬を隠そうとはしませんでした。

ゲルソン療法の核

ゲルソン博士は、当時医学会の主流であったアロパシー(薬物主義)の治療法を廃し、栄養療法による治療法を主張しました。当時の医学会においては先端的でしたが、異端視もされました。しかし今では博士の主張は正しいことが次々と証明されています。博士の主張をまとめると、次のようになります。

・ 患者の生化学的な調和を回復させる
・ 抑えられた免疫系の働きを高める
・ 器官の機能不全を修復するこの調和と相互協力性を組み合わせたのがゲルソン療法です。

その具体的な療法を簡単にまとめると、次の7項目に集約されます。 1  ナトリウム(塩)の摂取量を減らし、カリウムを増やす。
2  新鮮で未精製の野菜、果物のジュースを大量に摂取し、最高レベルの栄養消化を行う。
3  脂肪の摂取を制限する。
4  タンパク質の摂取を制限する。
5  甲状腺ホルモンなど必要な栄養(ヨード)補助を行う。
6  穀類は全て無精白のものを使う。
7  コーヒー浣腸で肝臓を刺激し、肝臓酵素によって毒性成分を除去する。

コーヒー浣腸とは?

大量の野菜・果物の摂取とともに、「コーヒー浣腸」も博士が完成したがん治療の柱です。体内に蓄積された老廃物は、細胞システムと身体組織が排泄を行います。この場合、老廃物とは汚染された空気、汚染された水、食品添加物、ウイルス、細菌、その他有害物質のことです。肝臓は、血液中からこれらの有害物質をろ過します。

コーヒー浣腸を行うことで、コーヒーに含まれる「カフェイン」が肝臓と胆のうを刺激して胆汁液の分泌を促し、胆管を開いて溜め込まれた毒を放出するというのが博士の考えで、これは一種の解毒法といえます。

ゲルソン博士は1959年に亡くなったりましたが、その治療プログラムは急性、慢性の変性疾患(がん、糖尿病、血栓症、関節炎など)を治すものとして、ヨーロッパやアジア各国で高く評価されています。

アメリカでは学会の圧力などにより正式な治療の認可が下りていませんが、現在、メキシコのティファナにあるゲルソン・クリニックには、抗がん剤や放射線治療に飽きたらないアメリカ人がん患者が多数訪れています。